おさとうのはっぴーにっき

はっぴーになりたい!

最近はよく自分が死ぬ姿を想像する。それを見た家族やともだち、彼氏の姿を想像する。どんな気持ちになるだろう。泣いてくれるのかな。ともだちや彼氏はお葬式に来てくれるのかな。

少しずつ少しずつ、死ぬための準備をすすめている。といっても、スケジュール帳に携帯やLINE等のパスワードを書いておいたり、奨学金等の払わなきゃいけないお金の計算をしてるくらいで、まだまだすすんでいないけど。エンディングノートを書いていると、急にさみしくなって、やっぱり死にたくないのかもと思う。でも生きることに希望を見出せない。

家族やともだちのことがもちろん大好きだよ。彼氏のことも本当に大好き。だけど好きだからこそ、これ以上自分なんかに関わってほしくない。でも一人になるのはさみしい。でも迷惑かけたくない。どうしたらいいのかもうわからない。

ぼくが死んで、大好きな家族や彼氏が悲しむのは、死ぬことよりつらい。だから今のところは苦しみながらクソみたいな毎日を生きている。こんなぼくが死んで悲しんでくれる人たちがいる。ありがたいけど、それも生きるプレッシャーになっていたり。でも気にかけてくれて嬉しかったり。複雑。

死にたいけど、本当は生きたい。幸せになりたい。つらいこともありながら、楽しいことや幸せなこともある人生を生きたい。本当の願いはこれなんだけど、そんな人生を生きるためにすべき「努力」とか「我慢」ができなくて、それならばいっそ死んでしまいたい、という気持ち。楽しいとか幸せとかって希望は一瞬で遠くに消えてしまう。

なんで生きることってこんなに大変なの?考えすぎなだけ?みんなは毎日「次の日なんてこなければいいのに」って思いながら、泣きながら眠りにつくことはないの?「いっそ死んでしまえたら楽なのに」っていうのは、だれもが考えることじゃないの?一番良さそうな死に方調べて、いざとなった時にこうすれば死ねるからって安心したり、辛くて辛くてどうしようもないときは自傷行為に走って思考を止めたりしないの?ただ普通に座って仕事してるだけで心臓がぎゅっと苦しくなって泣きたくなる。頭が重くて集中できなくて文字の羅列を見るだけで吐きそうになる。そうなったらどうすればいいの?

元気な人は「何でも聞くからね」って言ってくれるけど、「特に嫌なことがあったわけでも、何かされたわけでもないけど、悲しくてさみしくて苦しくて辛いです」なんて言ってもアドバイスも何もしようがないから困らせてしまうだけだ。人に迷惑かけてまで生きる価値なんて自分にはない。