おさとうのはっぴーにっき

はっぴーになりたい!

ぼく

実際の一人称は「わたし」だけど、このブログとtwitterでは「ぼく」と言っている。何度も言っているけど、特に理由はないし、自分でも「イタいな~~」とは思っている。

自分のことを客観的に分析してみたら、基本鬱であるブログとtwitter内では、「ぼく」が一人称である「おさとうくん」になることで現実と切り離しているのかもしれないと思った。「わたし」と言っているリアルの自分にもtwitterアカウントがあるけど鬱であることは公表してないし感情も出してない。誰も自分が鬱であることは知らないし、鬱であることを知ってる彼氏の前でも元気にしているから、「わたし」は鬱じゃないと思いたいのかもしれない。でも実際はちゃんと鬱なわけで、人前で明るく元気にしていても心は死んでいる。そんな鬱な感情を「おさとうくん」に持たせることで「わたし」を保っているんじゃないかと思う。

「わたし」は理想の自分を演じている。理想の自分とは言っても優秀な人物像じゃなくて、人に迷惑をかけて厄介な人に思われたくないとか、嫌われたくないとか、そういう思いがメインであって、できる自分を演じて成長したいんだ!とかいう意識高い系ではありません。

「わたし」は子供のころ、いじめにあっていました。だから、仲間外れにされることとか人から嫌われることがすごく怖い。なので自分の本心を殺して殺して殺しまくって、仲間外れにされないように、嫌われないように必死になった。そうやって必死に明るくて元気な人を演じてたら「ポジティブな人」「メンヘラとは程遠い人」というレッテルがいつの間にか貼られていた。心を開くのがさらにこわくなった。もし自分の心の中の闇をさらけ出してしまったら、みんなのことを裏切ることになるような気がした。でもそうやって本心を殺し続けていたら、耐え切れなくてある日爆発してしまった。マイナス感情を喚き散らして泣き叫んだ。その場にいた人たちとはもう会ってない。会えない。

これ以上、必死に演じて築き上げた「わたし」というキャラクターを壊したくない。だからぼくはおさとうくんを作って、おさとうくんになった。つらいとき、心が押しつぶされそうなとき、おさとうくんとして喚き散らす。そうやって鬱が「わたし」に干渉しないようにした。「わたし」が彼氏以外の誰にも鬱を公表しないのも、休職しようとしないのも、すべては「わたし」というキャラクターを守るため。

鬱が寛解したら、おさとうくんの役目は終わって、たぶん消える。でもそれがいつになるかは分からない。消えるまでの間、ぼくはおさとうくんとして、ブログやtwitterをやる。「わたし」が「わたし」のままでいられるように。