このブログはいわば遺書みたいなもので、ぼくが死んでから「ぼくはこんな気持ちで生きていた」ということを家族やともだちやかれしに知ってもらうために書いていることに気づいた。まあ、結局のところいつ死ぬかわかんないし、リアルのぼくを知っている人の誰にもこのブログの存在もTwitterのアカウントの存在も教えていないから、見てもらえるかわかんないし意味がないのかもしれないけど。
いま生きている状態で、不安で怖い気持ちをリアルのぼくを知っている人たちに知られたくない。一応、かれしにだけは精神疾患があることは知られているけど、生きていくことが怖い気持ちや不安な気持ちのすべては伝えてない。
だって、こんなぼくのことを心配してほしくないから。心配されたり励まされたりすると「元気にならなきゃいけない」っていうプレッシャーがかかってますます辛くなる。元気になることを望まれているのに、ぼくはそうなれない。期待に応えられなくて、そんな自分がさらに嫌になる。だから、元気なふりをする。心から楽しくなくても楽しいふりをする。いつの間にかそれが当たり前になっていたので、ぼく自身の感情がわからない。いま本当に楽しいのか?楽しくて笑っているのか?人といて楽しいふりをしている間は本当に楽しいのかもしれないけど、一人になった瞬間一気につらさが押し寄せてくる。
大好きなバンドのライブや、大好きなゲーム実況者の動画を見ている間は、たしかに楽しいし幸せを感じる時もある。けど、そのプラスの感情をぼくが持っていていいのかという迷いみたいなものもある。
そんな気持ちで生きているということを、知ってほしいけど、知られたくない。自分でもなにを望んでいるのかわからない。ぼくがみんなの前から消えたときに、「こんな気持ちで生きていた」ということを知ってほしい。知ったからといって、どうにかしてほしいわけじゃない。でも、わがままを言うとすれば、ぼくのことを忘れないでほしい。ぼくが生きていたということは、忘れないでほしい。だけど、ぼくが死んだのは誰のせいでもなくて、ぼく自身の弱さだから、ぼくが死んだことで思い詰めたりしないでほしい。